「轍鮒の急(てっぷのきゅう)」 今日の気になる言葉

 先ほど文書作成中にキーボードで誤入力をやらかしてしまったのにバッチリ変換された熟語「轍鮒」が気になったので調べてみると、なんかとっても時事ネタみたいな感じだったので取り上げます。「轍鮒」は、轍(わだち)の水溜りにいる鮒のこと。非常に苦しい境遇にある者は、ぐずぐずしていては救えないという故事から生まれた言葉です。

 何時の時代でも、事故現場で急を要している場合や生活が苦しくなっている人、潰れそうな大企業など非常に苦しい境遇にある者がいますね。そのタイミングで躊躇して助けたければ、後で助けようと思っても助けることはできませんね。死んだら仕舞いです。

 戦略のない日本の政治、日本の企業、日本全体に言えることではないでしょうか。自力で何とかできなくなった状態では他者が助けるか、見捨てるかのどちらかしかありません。EU圏の経済危機ではいくつかの国が支援を受けて立ち直ろうとしていますが、そのほかの国ではどうなるのでしょうか。企業についても同じことが言えると思いますが、潰してしまったらその影響は直接、間接を問わず大きく広がります。最初の対応を誤った日本は失われた20年と呼ばれるほどの右肩下がりの不景気な社会経済に陥りました。そしてまだ脱出できていません。

 元気のよい鮒は飛び跳ねてもっと大きな水溜りや本流の川へ戻れるでしょう。これを成長市場のある海外へ進出としている企業とみると面白いですね。良いと思って飛び跳ねた先がすばらしい環境なのか、毒沼で地獄なのかは分かりませんけどね。2010年の世界一の富豪はメキシコ中心に事業と株式公開で財を成した人物でしたので、安定度の国内消費があれば自国内で市場を独占した方が良いかもしれません。日本がそんなに厳しい環境なのかというと事業内容によって差が大きそうです。





参考:
・轍鮒の急(てっぷのきゅう) 
「轍鮒」は、轍(わだち)の水溜りにいる鮒のこと。非常に苦しい境遇にある者は、ぐずぐずしていては救えないということ。また、差し迫った危険や困窮の喩え。 

故事:「荘子−雑篇・外物」 轍に鮒がいた。問うと、水を汲んできて助けてくれと言う。「これから呉か越に行って水を得て、それからお前を迎え入れよう」と言うと、鮒は大いに怒り、「今は一刻を争うところであり、後日の大量の水よりも一滴の水が必要なのだ。そうでなければ私は死ぬから、私を迎えたいのであれば、乾物屋にでも行って探し求めるが良い」と言った。

・轍鮒を枯魚の市に訪う(てっぷをこぎょのいちにとう)[=見る] 
危急・困窮が目前に迫っているときに、救いの手を差し伸べるのを躊躇(ためら)えば、後でいくら救おうと努力しても甲斐はない。

くろご式 慣用句辞典【てあ】〜【てと】より引用