ムダ探しをするという無駄

 世の中の風潮といいますか、マスコミの影響といいますか、政治のパフォーマンスといいますか、デフレ促進政策ともいえることばかりしているので無駄探しは無駄じゃないかという考えに行き着きました。
 無駄かどうかを調べる、無駄だと指摘する、無駄と指摘された事項について議論するということは、それ自体が「無駄」じゃないかと思います。国政の事業仕分け自治体や行政法人でも多くの時間と労力をかけてムダ探しが行われているようです。

 その時間と労力を別のことに使う、さしあたって別の行うべきことがなければ無給の休業にすると、労力を使わずに無駄が省けるはずです。無駄探しそのものが仕事、業績だという人はろくでなしだと思います。無駄探しは、最大値で無駄と判定した金額です。そこから無駄探しに要した費用を差し引くと捻出できる金額は少ないです。忘れてはいけないのが、本来生み出すことができる利益を獲得できないことまで考えるとムダ探しは愚かな行為だと分かります。ただし、ムダを生じない仕組みを考えたり、ムダが入り込まないようにすることを否定しているわけではありません。生産性の高い社会システムを構築することは大きな効果を生み出します。

 通常、民間の自立的かつ能動的に行動できるビジネスパーソンは利益になることや自分がやりたいことを優先的に実行する能力に長けており、自然の振る舞いで優先順位の低い事項は先送りしたり、忘れたり、無視したりします。あまりに忙しくなると催促されてから手をつけることがありますので、その人の一面しか見ないと能力が劣っていると誤った判断をしてしまいます。その人と同じ価値観で一緒に仕事ができたのであれば極めて高い能力を持っていると感じて互いに共鳴して高めあえるはずです。

 なぜかというと、現在、価値観は多様化していて、それぞれの個人が目指す人生の目標や生き方も細分化しています。子供の夢、中高生や大学生の目指している職業、働き方や家族についても"これが普通だ"とはっきり言い切れる型はないのではないかと思うようになりました。私はテレビドラマでいわゆる平均的な家庭像が出るとどうしても違和感を持ってしまいます。

 このような現代社会においてある物に対してムダ、使われていないから不要という判定をすると軋轢を生じます。何が大切か、何が必要かということは、その人の主観でしかなく、どんなに時間をかけても、仕分け対象になったもの、補助対象になったもの、それぞれについて社会全体の幸福を実現するためにどれほどの効果があるのでしょうか。まるでヘソクリを見つけるようなムダ探しをしていた時間で新しいことをすれば、雇用を生み出すこと、経済を活性化させること、税収を上げることが可能なはずです。

 日本の政治のパフォーマンスである事業仕分け補助金制度は、ゼロサムゲームに寄生する名声と手数料を取る存在で存在そのものが無用ではないかと思います。まずは議員定数を思い切って削減し、一つの方向にミスリードして暴走しない程度の人数で運営すべきでしょう。特に国政においては利益誘導や地元という意識を捨てさせるために全国区化する比重を高めるべき時期でしょう。